カウンセリング体験記2

四半世紀前の記憶があやしいから、前に書いた文章を見て思い出して書こうと思ったけれど、結局そのまま写してしまう方がよさそう。

vol.2 <絵を描く>
私が受けることになった心理療法が「絵画療法(アートセラピーともいう)」だったので、家族や身近な友達に「カウンセリングを受けに行く」と言うかわりに、よく「絵を描きに行く」と言っていました。カウンセリングに行っていることを隠していたわけではなく、相手がカウンセリングのことを知っているときに、ですが。ただ、「カウンセリングに行く」と人に言うことに、全く抵抗がなかったわけではないのだと思います。中学生にとっての「相談室に行く」も、ちょっと似ているのではないかという気がします(わざわざ、相談室には「遊びに」行くのだと強調する子がたくさんいます)。
さて、「絵を描く」の中身ですが、真っ白い紙に自由に絵を描いていたわけではありません。絵画療法には、いくつかのテクニックというか方法があるのです。
私が最初にやったのは、カウンセラーのJ先生が〈Tシャツ〉〈靴下〉〈紙袋〉などの輪郭だけを描いて、その中に私がデザインする、というものでした。画材としてはクーピーペンシルとポスカがあって、好きなほうを使っていいと言われたのですが、なにせ絵には自信がない私。ポスカのようにくっきり太く鮮やかに描けてしまうペンを使うのは怖い気がして、クーピーを選びました(消しゴム付きだし)。
一番最初の課題はTシャツでした。絵に自信はないくせに変なものは描きたくないという意識が働いて、いろいろ考えたあげく、七色使って虹を描きました。J先生に、
「どうですか?」
と出来映えについて感想を聞かれ、「きれいに書けたのでいい」というようなことを答えました。すると、続いてもう一つTシャツの枠を描いたJ先生、
「さっきのと反対のイメージのものを描いて下さい。」
え? 虹の反対?
ちょっと意表を突かれました。仕方なく連想ゲーム的発想で、
虹→きれい←→汚い→ゴミ箱
ということで、公園に置いてあるような金網のゴミ箱を描きました。そして先生から、どうしてそれを描いたのか聞かれ、描いたものについての感想を聞かれました。
二つのTシャツを比べると、〈ゴミ箱〉の方が意外性があって、圧倒的におもしろい。〈虹〉の方は無難だけれど、つまらない。自分で着るのなら絶対〈ゴミ箱〉の方・・・
などと答えました。出来映えを意識しながら頭を使って描いていたら、ゴミ箱なんて決して描かなかったでしょうが、とっさに仕方なく描いてしまったら意外によくできて、「こんなものを描いてしまってもいいんだ」という発見をして嬉しくなりました。この時、最初のハードルを越えたというか、頭を堅くしていたネジが一本抜けたような感じがしました。

vol.3 <続・絵を描く>
〈Tシャツ〉のデザインの他にも、〈ハンカチ〉や〈靴下〉などいろいろな輪郭の中にデザインをしました。〈窓〉や開いた〈ドア〉の向こうに見える景色、というのも描きました。〈ゴミ箱〉の経験から、あまり出来上がりの見栄えを意識せずに、感覚的にぱっと思いついたものを描くようにしました。もちろん出来の良くないものもあったのですが、そういうときはカウンセラーに「どうですか?」と感想を聞かれたときに「良くない」と言えばいいだけのこと。
J先生は、絵の出来について自分の感想を言うことはなく、私が「良い」と言えば賛成してくれ、「良くない」と言えばうんうんと頷いて不満足な私の気持ちを肯定してくれる、という態度でした。私が「良くない」と言うときに「でもここは良い」などと無理矢理ほめたりもしません。そのように自分の描いたものと自分の言うことを受け入れてもらうことで、私はだんだん自由な気持ちで描くことができるようになっていきました。
それが、はっきり形として現れたのが、画材です。初めは、上手くいかなかったら消すこともできるクーピーペンシルで描いていたのですが、2回目か3回目の時から、ポスカで描く気になったのです。自分の中で、何か変化が起こりつつあることを感じました。
絵画療法では、絵を描くだけでなく、コラージュもします。ここでは、J先生が紙で作ったいくつかの形を使って、〈平和〉〈恐れ〉などを表現する課題をやりました。初めから使える材料が限定されていて、しかもそんな抽象的なテーマなのですから、難しいです。でも、誰が見ても難しそうな課題なのだからうまくできなくて当たり前、という感じがして、かえって気楽に取り組めました。そして、工夫してなんとか作ってみると、ちゃんとそのテーマにあったものが作れたように思えて、「私って、意外にやるじゃない」というような自己評価ができました。調子に乗って、自分でもコラージュ用の紙片を作って行ったりもしたんですよ。